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やちむん&シーサーと言われる焼き物


琉球王国の歴史は1千年ほどあります。1372年に明に初めて入貢(外国の使節が貢ぎ物を持って来ること。)して以来、中国や日本・東南アジア諸国と積極的に交易(互いに物品の交換や売買をすること)を行い、それを通して独特の工芸を作り上げてきました。


交易の最も栄えた14-16世紀には喜名焼や知花焼のほか、漆器・紅型・織物などが飛躍的に発展しました。


大交易時代の15世紀中頃、シャム(タイ)から南蛮焼が伝来し、泡盛の醸造技術と関連してこの南蛮焼の技術技法が、読谷村喜名や沖縄市知花に起こりました。これが琉球における本格的な陶器製造の始まりとされています。



▼那覇・壺屋、やちむん通り


沖縄の壺屋という場所は沖縄を代表する焼物の町です。17世紀に琉球王府が、各地に点在していた陶窯をこの地に統合したことから、やがて焼物の一大生産地となりました。


壺屋には今でも20軒近くの陶房や窯元、直売店があり、茶碗や皿、急須、酒器、花器、シーサーなどを造っています。通りには沖縄ならではの琉球石灰岩が敷き詰められ歴史と風情が感じられる場所です。


▼読谷・やちむんの里


沖縄にはもう一つ、「やちむんの里」とよばれる焼物生産地があります。「やちむんの里」は今から30数年前に、各地の陶工が移り住んでできました。


というのも、伝統的な登り窯は薪を燃やしつづけるためにどうしても黒煙があがるため、市街地での登り窯でのやちむん製作が難しくなりました。それでも登り窯でのやちむんにこだわった陶工達は、読谷にうつり登り窯をつくったのです。




▼シーサーとはなんぞや?


シーサーの起源は定かではありませんが15~16世紀頃、伝来したであろうと言われています。シーサーは百獣の王と言われる獅子のことで、その昔琉球人は見たこともないシーサーの威力によって、悪霊を防ぎ災いを避けると信じ、城門、玉陵等に置かれたようです。


シーサーを屋根に乗せる意味に災いを防ぐだけではなく、この家が子々孫々まで栄え、みんな幸せになってもらいたいという気持ちがあるそうです。


どこに飾るのかといえば、置物として床の間、玄関、庭、書斎、窓際などに置いて、招福、除災の象徴とされるみたいです。


向かって右側のオスは、口を開いて幸せを呼び込む。向かって左側のメスは、口をつぐんでつかんだ幸せを離さないと言われています。


シーサーの置き方は右がオス・左がメスです。



▼沖縄の石敢當とは


(石敢当)は、「いしがんとう」と読むが、「せきかんとう」とも呼ばれることがあります。

 
石敢當は道に設置される魔よけであり、全国に分布しています。特に沖縄を中心とした南西諸島に多く分布しており、沖縄の路地を歩くと随所に見ることが出来ます。


一般に悪鬼は直進する性質があるため、道を直進してきた悪鬼がT字路にぶつかると、その家の中に進入することになる。そこでT字路や三叉路の突き当たりの所に掲げ魔除けとするのです。


 
沖縄の伝統工芸は、先人の努力を受け継いだ「琉球人の心」です!アイデンティティーの表現だと思います!


これからもたくさんの素敵な心を紹介していきます(^^)v


今後とも宜しくお願い致します。

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